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岡山地方裁判所 昭和32年(ワ)33号 判決 1968年11月28日

原告 八重本健三

<ほか一九名>

右訴訟代理人弁護士 豊田秀男

被告 三井造船株式会社

右訴訟代理人弁護士 橋本武人

<ほか一名>

主文

原告らの各請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、原告らがそれぞれ主張の日に被告と雇傭契約を締結し、その主張の職務についていたことは当事者間に争がない。

二、右雇傭契約の効力の消滅について

被告が昭和二五年一〇月一九日、原告らを含む被告会社従業員四六名に対し、同月二三日までに任意退職の申込をなすよう、もしこの勧告に応じなければ翌二四日付をもって解雇する。退職にあたっては、退職金、予告手当等の支給のほか、右勧告に応じ退職願を提出した者に限り、特別退職金を支給する旨の本件通告を発し、その頃右通告が原告らに到達したこと、原告石井他一四名は右勧告を受け入れ、同月二三日退職願を提出し、同月二四日から二七日までの間に被告会社に出頭して、特別退職金を含む退職金その他の給付を受け、この受領を証するため被告が予め準備していた各領収書に署名押印して交付し、従業員通門徽章等を返還し離職票を受取ったこと(なお被告は、右原告らにおいて、当初被告主張の合意解約の成立を認めていたところ、その後右自白を補正したが、弁論の全趣旨によれば、原告らの答弁は、当初から上記の事実を認めたにすぎない趣旨であって、右合意解約の成立までも自白したものとは解されないので、被告が、これを自白の撤回であるとしてなした異議は採用の限りでない。)、原告八重本他四名は、被告の退職勧告に応じなかったが、被告が前記解雇の意思表示の効力が発生したと主張する日の後である同月二五日原告八重本、梶原、木島、後藤において、同じく同月二七日原告多賀において、それぞれ被告会社に出頭し、特別退職金を除く退職金、予告手当等の給付を受け、その受領を証するため被告が予め準備していたその主張どおりの付記ある領収書等に署名押印し、従業員通門徽章等を返還し、離職票を受取ったことはいずれも当事者間に争がなく、≪証拠省略≫によれば、原告石井他一四名および原告八重本、梶原、木島、後藤らは、前記の退職願の提出ないし退職金その他の給付の受領等の諸手続の際、一切異議を述べておらず、わずかに原告多賀のみが前記の付記ある領収書署名に押印することを拒んだだけであり、同原告もその後被告会社係員から署名押印しなければ退職金等を支給せぬと言われ、やむなく署名等の諸手続に応じ、爾来、わが国が主権を回復した講和条約の発効を経て、本件訴訟にいたるまで原告らから被告に対して、なんら文句を申出たこともなく推移したことが認められ(る。)

≪証拠判断省略≫

そこでこれらの諸事実を総合して判断するに、(一)原告石井他一四名と被告間の前記雇傭契約は、同月二三日をもって原告らの申込、これに対する被告の承諾の両意思表示の合致により合意解約されたと言うべきであり(本件通告の内容たる勧告は解約申込の誘引にすぎないから、これが解約の申込であるとの前提に立つ原告らの主張は失当である。)、(二)原告八重本他四名と被告間の前記雇傭関係は、被告がなした前記本件通告およびその後これに引きつづいて被告がその主張の金員受領と同時に退職について一切異議を申立てぬ旨の付記ある領収書を用意して、退職金その他の給付の提供をしたという一連の行為には、右解雇の意思表示どおり退職の効果を生ずることにしようとする趣旨の契約申込の意思表示が含まれていたと解するのが相当であって、原告八重本、梶原、木島、後藤において同月二五日、原告多賀において同月二七日、それぞれ別段の条件等を留保することなく、退職金その他の給付を受領し、前記付記ある領収書を差入れたのであるから、原告らは被告のなした右趣旨の契約(以下、かりに示談契約という。)の申込を承諾したと言うべきであって、結局原告八重本他四名と被告間の前記雇傭契約の効力もこれによって消滅したと言うべきである。

三、(一) 原告らは、かりに前記合意解約ないし示談契約が成立しているとしても、被告のなした原告らに対する合意解約の申込の誘引は、連合国軍最高司令官の行った所謂レッドパージに名を藉りてその実は原告らの思想信条を嫌い、かつ、原告らが帰属する第一組合を壊滅させるために行った違法のものであり、したがってこれと不即不離の関係にある、被告のなした原告らの右合意解約の申込に対する承諾の意思表示も、同様の瑕疵があると言うべきであり、また右示談契約の申込の意思表示も同じような瑕疵があるから、結局いずれの意思表示も無効であって、右各契約は有効に成立していないと主張するが、連合国軍最高司令官の行ったレッドパージの指示は、その範囲として、共産党員のみならずその同調者をも含み、かつ、これらの者が破壊的活動を現実にした場合に限らず、単にその虞れがあるにすぎない場合でもこれに及ぶとしている点でその基準とするところが必ずしも明確と言えないうらみがあり、かかる場合、被告としては、指示の趣旨を実現するにあたって、それを厳格に解するか否かによって対象者の範囲があるいは広く、あるいは狭くなる筋合であるから、かりに右指示の定める対象者の範囲を狭く解することによって原告らがその範囲外におかれるべきものとしても、弁論の全趣旨に徴し、被告が悪意をもって右指示を奇貨とし、原告らの窮迫に乗じて、これを職場から排除しようとした事実を未だ認めえない点に鑑みれば、被告の一方的意思表示によって原告らを解雇したというのならば格別、しからずして、前記のように合意解約といい、示談契約というも、ともに原告らにおいて、労働契約の効力の消滅という効果を目的とする意思表示を自らもしたものである以上、該契約を無効たらしめる事由となすことはできない。

(二) 心裡留保の再抗弁について

原告石井他一四名は合意解約の申込を、原告八重本他四名は前記示談契約の承諾をいずれも真実その意思がないのに敢えてなしたものであり、被告もこれを知り、または知り得べきであったから民法九三条に該当し無効である旨主張するが、原告石井他一四名の右主張事実はこれを認めるに足る証拠がなく、原告八重本他四名の右主張についても、当事者間に争のない、右原告らが被告の退職勧告を拒否しその提供する各給付中の特別退職金を受け得る利益を放棄した事実のみからは、いまだ、原告八重本他四名が自ら進んで任意退職の申込をする気になれなかったことを示すに過ぎず、前記示談契約の申込を承諾する真意を欠いたとまで認定することはできず、その他に原告八重本らの主張事実を認定するに足る証拠はない。かえって、当事者間に争のない、原告八重本らが被告主張の付記ある領収書を差入れた事実、既に認定済の、原告らがその際何らの異議をもとどめることなく、その後講和条約発効を経て本訴にいたるまで文句を言わなかった事実に、≪証拠省略≫を総合すれば、原告らは被告のなした本件通告に不満であったけれども、当時置かれていた原告ら主張のごとき状況の下で利害得失を考慮した挙句、前記合意解約を申込んだりあるいは、前記の示談契約を承諾したりして退職金その他の給付を受けとるのもやむを得ないと考え、真意にもとずいてこれらの行為にいでたものと認められる。

四、してみれば、原告らと被告との間の前記雇傭契約は、その余の判断をまつまでもなく、消滅したことが明らかであるから、原告らの本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について、民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 裾分一立 裁判官 東条敬 笠井達也)

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